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心の扉 | 2008/06/28 | | | |
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日本に戻り、この文章を書いています。 外は雨。 今は窓を開けて網戸だけになっているので、聞こえてくる雨音が夏のこの時期の夜をしみじみとしたものに感じさせます。 梅雨のこの時期は何となく不快にも思えるけれど、この雨はこれから直ぐに訪れるであろう暑い暑い強く照りつける太陽とのバランスを取る為に、とても大切な時間でもあります。
今年のルマン24を終えて感じたこと・・・。 改めて感じたことといった方が正しいでしょうか。
本当に色々なドラマがありました。 でもドラマはなにも今回初めて起こったわけではなく、僕の人生、そしてこの文章を読んでくださっている全ての方達の下にも日々起きているはずです。
それをきちんと感じとり、受け止める事が出来ているでしょうか?
人は結局本当に心の奥底から望んでいるころにしか向かわない(向かえない)ような気がします。 自分が思い描く自分自身の理想と現実とのギャップ。 とても沢山の方達が、そんな違和感を感じていることでしょう。 そこには数多くの理由が存在しますが、今回は細かい話は抜きにします。 なかにはそんな事を感じもしない、達観された方もいらっしゃるかもしれないけれど・・・。
夢と現実の違いとでも言うのでしょうか。 本当に自分自身が望んでいるものは何なのか? それは本当のところ、なかなか解らないような気がします。 簡単には。
自分自身が意識している(出来ている)部分。 これは顕在意識と言う言葉でも表現されていますが。 普段自分が意識出来ている部分で考えている事は、実は自身が本来持っている能力のほんの僅かな部分なのかもしれません。 人間には潜在意識やもっと奥深い意識の領域があるということは、もう随分前にユングやフロイトと言った天才達が既に発見し、世の中に知られています。 この潜在意識といわれる不可思議な存在は人の意識の7割から8割を占めている?とも言われています。
潜在意識と一言で言っても、その意味合いは多岐にわたりますが、この場合特殊能力的なことではなく、ごく一般に殆どの人間に当てはまるのではないかと思う事をここでは話させて頂いています。 僕のようなスポーツ選手の場合、ごく稀に「ピークエクスペリエンス」というものを経験する事があります。 これは例えば野球選手だと球がとまって見える。 レーサーだと300キロのスピードでも、ミリ単位でマシンがコントロール出来てしまうなど。 これは何らかの理由で意識の壁が取り払われた時に、起こる現象?のような気がします。 でも今回は別の次元の話なので・・・。
自分自身が本当に向かうべき所。 やるべき事。 何が欲しいのか。 そのためには何が必要なのか。 今自分が感じている事柄が、本当に自分の向かうべき所なのか・・・? それは恐らく誰にも解りません。 でもそれを知る為に(学ぶ為に)そのためのヒントがあらゆる所に隠されていて、それが色々な出来事や出会いによって人間の意識に作用してきます。 その意味に気づかせる為に。
だけどこの8割の自分が意識していない部分が、実は自分自身を突き動かしているという事実?にはなかなか気づけないもの。 だから同じような出来事が、形を変えて起こります。 早く気がついた方がいいよと、まるで語りかけてくるかのように。
これらが真実かどうかは解りませんが・・・。 あくまでここに書かれている文章は、僕の勝手な私見であり仮説(推測)ですので、それをご理解のうえ読んでくださいね。 僕は学者でもなんでもない、ごくごく普通の(つもり)感覚と頭を持ったレーシングドライバーなので。(笑)
話を戻します。 これが実は夢と現実とのギャップだと、多くの人達が思い込んでいる部分なのでしょうか。 どれだけ努力しても、頑張っても、信じ続けても、もし何かが上手くいかないとき、 それは案外この潜在意識の8割の部分の自分が、本当に行くべき所だと感じていないのかもしれません。 実はギャップではなく、ずれを修正しようとして意味のある事柄が起こっているのでは? その8割の部分が、本当の自分かもしれないという事に気づくのは難しいことです。 なかなか人間は真実を認めたくない生き物かも。 正確には、そのどちらも自分ですが。
人は何か大きな出来事がないと、真剣に自分を振り返らないとも言えるでしょう。 失恋・病気・大きな仕事での失敗・大切な人との別れetc。 本当に自分自身の琴線に触れるような出来事が起こらない限りは・・・。 だから失敗の数ほど、人は多くを学び大きくなれるとも言われますよね。 ある意味それは本当の事かもしれません。 でもたいていの場合、それでも人間は同じことを繰り返してしまいます・・・。
そこが大事な部分なのではないかと思います。 案外ポイントはそこにある気がします。 人がどう変わっていけるかの分岐点、人の意識の奥底にある本当の自分とは。 その8割の部分に気づけるかどうかの分岐点。
気づきとは・・・? もちろん答えを見つける事は難しいこと。 あえて答えを追いかける必要はないのかも知れません。 でも人は無意識の内にそれを探している、と僕は思います。
自分自身を内観すると言う事の意味は、案外そんな事を見極める為のものなのかもしれません。 お寺の高僧が悟りの境地を見出す為に、厳しい修行をすると言う話は誰でも聞いたことがあると思います。 でも本当の意味で悟りの境地に辿り着ける方は、ごくごく僅かなのではないでしょうか。 それだけ人間とは奥深いものなのでしょう。
ある友人がこんな事を言っていました。 人は完成を求めたがる。 でも完成とは変化の無い姿。 変化の無いものは、物と同じだと。 変化こそが、生きている証だと。
もちろん僕は自分がちゃんと出来ているとは思いません。 いや、全く出来ていないとも思います。 でもそういった時間(自分を内観する)を大切にしています。 僕は職業柄、と言うよりは自分自身の性格上、静と動の究極を感じられる ような環境に身を置いてきたと感じています。 全くそうは感じないドライバーがほとんどかもしれませんが・・・。 その中で自分自身を持ち続けること、信念を貫くことはなかなかに大変な事でもあります。 だからこそ、そのバランスを整える為に。 今の世の中の流れの速さに惑わされない為に。 情報に惑わされない為に。 そして、本来人間が持っているはずの時間と言う概念を忘れないための時間を。
日々起こる全ての出来事を受け入れ、内観し、そして変化を恐れず前進。
全ての出会い、出来事に感謝。 | | 中野 信治 |
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